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Un sac de billes 小さな青いビー玉/ナチスから逃れて

フランス映画 (2017)

ドリアン・ル・クレシュ(Drian Le Clech)が主演する、ナチスの迫害から逃れるユダヤの少年を描いたシリアスなドラマ。原作は1973年にジョゼフ・ジョフォ(Joseph Joffo、この映画の主人公と同名)が書いた自伝的小説。1941~44年にかけて、自らが受けた迫害体験を綴ったもので、18ヶ国語に翻訳され2000万部を売った。さっそく2年後の1975年に映画化されたが、2017年の作品は、そのリメイク版。リメイクというと、オリジナルより落ちることが多いが、この映画は逆で、リメイク版の方が格段に優れている。その原因は、①演技の素晴らしさ、②切れ味がよく、「惨劇」に焦点を当てた脚本〔実体験の映画化なので、ラストを省略することはできないが、冗長な部分は短くカットされている〕、③めりはりのある演出〔ナチスの恐ろしさがよく分かる〕の3点にある。また、パリからの脱出という点では、『バティニョールおじさん』(2002)が最も似ているが、緊迫感、ナチスの残虐さともに 本作の方が格段に優れている。もう少し範囲を広げると、1つ前に紹介した『悲しみは星影と共に』(イタリア、1966)に加え、『さよなら子供たち』(フランス、1987)、『マイ・リトル・ガーデン』(デンマーク、1997)、『Vsichni moji blízcí(大好きだった人たち)』(チェコ、1999)、『A Rózsa énekei(ロージャの歌)』(ハンガリー、2003)、『フェイトレス/運命ではなく』(ハンガリー、2005)、『Fugitive Pieces(儚(はかな)い光 -彷徨の断章-)』(カナダ、2007)、『フォース・ダウン/敵地脱出』(オランダ、2008)、『縞模様のパジャマの少年』(イギリス、2008)、『黄色い星の子供たち』(フランス、2010)、『4 Tage im Mai(五月の4日間)』(2011)、『ふたつの名前を持つ少年』(ドイツ、2013)、『Oorlogsgeheimen(守るべき秘密)』(オランダ、2014)などがあるが、それらの中でも最も緊迫感に溢れている。少女映画だが、『ミーシャ/ホロコーストと白い狼』(フランス、2007)が、悲惨な内容だったが、後でフィクションと判明し総スカンを食った例もある。本作は、著者本人の少年時代の実話なので実に重みがある。映画の中では出て来ないが、原作の最後に、「奴らは僕の命を取らなかった。でも、もっと悪いことをした。僕から子供時代を奪った。僕が『なっていたはずの子供』を殺してしまった」という一文がある。これは、辛くて悲しい言葉だ。映画では、この「言い知れない」悔しさにまでは触れていない。

1940年6月22日にフランスがナチス・ドイツの軍門に下ってからほぼ2年後、6歳以上のすべてのユダヤ人に、黄色いダビデの星を胸部に縫いつけるよう命令が下る。ジョフォ家は、父がユダヤ人、母がロシア人だが、ニュルンベルク法により、2人の間に生まれた4人の子供もすべてユダヤ人とみなされる。もう大人になっていた2人の長兄はすぐにパリを脱出し、15歳と10歳のモーリスとジョゼフ(通称ジョー)に対しても、両親は2人で南東部フランスの自由地域への逃亡を命じる。ただし、特別な段取りはせず、逃亡のルートを教え高額の旅費を渡しただけ。ここから、兄弟の受難は始まる。2人は、両親に言われたようにスペイン国境に近いダクスまで汽車で行くが、駅はドイツ軍の厳重な監視下に置かれていた。同じ車両にいた神父の機転で何とか窮状を脱した2人は、自由地域と接するアジェモーまで行く。そこでは、両親が指定した密出国屋にコンタクトする予定だったが、ジョーが10分の1の費用で出国させてくれる人に、安いからと頼んでしまう。その賭けは「吉」と出て、2人は安全かつ安価に自由地域に出ることができた。その後は、両親の言葉を無視し、ヒッチハイクとハイキングを楽しみながらニースまで辿り着き、両親と長兄に感激の再会。しかし、翌1943年の9月になり事態は一変する。イタリアが連合国側に寝返り、ドイツ軍がニースに進駐してくる。両親はジョーたち2人をフランス傀儡政府が運営する(しかし、安全な)全寮制の学校に避難させる。しかし、両親からの連絡が途絶えて心配になった2人は、学校のトラックに便乗してニースに出かける。ところが、トラックの運転手が乗り着けた先は、運悪く、ドイツ軍の罠だった。運転手と2人の兄弟は、ユダヤ人の可能性の高い怪しい人物としてニースのドイツ軍本部に連行される。ジョーは捕まった時にひどいケガまで負っている。そこから、ドイツ軍の徹底的な取調べが始まる。運転手は即座に処刑されたが、2人は、アルジェリアから来たフランス人だと言って頑張る。ユダヤ人の決定的証拠となる割礼についても、アルジェリアの風習だといってごまかす。それでも、信用されず拘束は続く。洗礼をどこで受けたか訊かれた兄は、アルジェの教会名を知らなかったので、ニースの教会の名をあげる。すると、洗礼証明書を2日以内に持って来るよう命じられる。逃亡すれば弟は収容所行きの汽車に乗せられる。切羽詰った兄は、神父に頼み込んで偽の証明書を書いてもらう。その証明書も、ドイツ軍は信用しない。最後に、際どいテストをさせられ、罠にひっかからなかった2人はようやく解放される。しかし、学校に戻った2人には、母から、父が逮捕された、すぐに逃げろという電話が入る。2人はニースから真北の山岳地方に逃走する。最後の場面は、1944年5月。パリ解放の3ヶ月前。小さな山の村で、2人は新聞売りと、食堂の下働きとして暮らしている。誰も2人をユダヤ人だと疑う者はいない。特に、ジョーが住み込みで働いている本屋は、村一番の対独協力者で、その息子は反パルチザンの民兵団の一員。隠れ蓑としては最適だ。ジョーは、その本屋の娘のフランソワーズに淡い恋心を抱く。しかし、すぐに戦争の終結はやってきて、本屋は村一番の嫌われ者としてリンチに遭いそうになるが、ジョーは、ユダヤ人である自分を匿ってくれたと主張して命を救う。そして、パリ。昔住んでいた家に戻ったジョーは、既に戻っていた家族に歓迎されるが、父だけはアウシュヴィッツ送りになっていた。なお、あらすじを書くにあたっては、フランス語字幕、オランダ語字幕、ドイツ語字幕、イタリア語字幕を併用した(英語字幕は、フランス語字幕の自動翻訳でゴミ同然。残りの他言語字幕は独自翻訳)。

ドリアン・ル・クレシュは、兄のモーリス役のBatyste Fleurialと共に、公開オーディションで選ばれた幸運児。2004.9.2生まれで、撮影は2015.8~12に行われたので、撮影時は10~11歳。映画の設定は10歳なので、ほぼ合致している。映画はドリアンが演じるジョーの視点で語られるため、いわばワンマン主役。これだけの大作の主役を、映画出演がほぼ初めて〔2014年に端役で出演〕の10歳の少年が任されるのは大変な重荷だったに違いない。しかし、結果は素晴らしいの一語。2010年代の子役の演技ベストテンは、順不同で年代順に、『未来を生きる君たちへ』(2010)のWilliam Jøhnk Nielsen、『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』(2011)のThomas Horn、『ヒューゴの不思議な発明』(2011)のAsa Butterfield、『ビリー・エリオット/ミュージカルライブ』(2014)のElliott Hanna、『ヴィンセントが教えてくれたこと』(2014)のJaeden Lieberher、『ルーム』(2015)のJacob Tremblay、『きっと、いい日が待っている』(2016)のHarald Kaiser Hermann、そして本作のDrian Le Clechだと思っている(あと2人は2018,19年に残しておきたい)。そのくらい素晴らしい熱演だ。この中で、日本未公開は本作だけ。2017年の本国公開なので、日本で公開されたら是非観ていただきたい。


あらすじ

映画の冒頭、1944年8月と表示される。エッフェル塔が遠くに見える誰もいない早朝の路地を1人の少年が歩いてくる。彼の名前はジョゼフことジョー。この映画の主人公だ。両側に並ぶパリらしい石灰岩の白いアパルトマンには、フランスの国旗に混じってイギリスとアメリカ国旗が掲げられている。このことは、パリの解放を祝う8月26日のパレードの直後であることを意味している。途中の建物に18区とあるので、モンマルトルの丘のある地区だ。ジョーは、祝賀会の余韻の残る街角の小公園で遊具にぶら下がる。ここで独白が入る。「全部 前と同じだ。でも小さくなったように見える。僕が大きくなったせいかな。あれからどのくらい経ったんだろう? 2年半かな?」。そして、ジョーはポケットから、大事にしてきた青いビー玉を取り出す(1枚目の写真、矢印(実物は表面が粗く、もっと青い)。ここで、画面は予告なしに雪のパリに変わる。「2年半」が正しければ、1941年2月になる。雪のシーンとよく合致している。1940年6月22日にフランスの第三共和政が崩壊し、パリをドイツ軍に明け渡してから8ヶ月後だ。ジョーとその兄が、雪の中で、複数のビー玉を当てっこして遊んでいる。ジョーはあの青いビー玉を大事そうに握ってから指で弾くが、兄のビー玉の山を外してしまう。大事なビー玉を取られて悲しむ弟に、優しい兄は「泣くな。さあ、急がないと遅れるぞ」と言いつつ、青いビー玉だけは返してやる〔他の玉は勝った方が没収〕。「泣いてるもんか」。「分かった 分かった」。2人はモンマルトルの丘にある階段を下りて学校に向かう(2枚目の写真)。ジョーの教室では、教師が、「ヒットラーの軍が あれほど速く進めたのは、軍事技術の優位性もあるが、自らを欧州の覇者だとするドイツ人の倫理観が大きく関わっている」と話している。すると、ゼラティ〔ジョーの一番の親友〕が ジョーに紙切れを渡そうとして教師に見つかってしまう。その紙には、「Je tiens mes maîtresse, meme celles des autres(何があろうと、僕は愛人を守る)」と書いてあり、みんなが笑う〔“maîtresse” には「先生」の意味もあるが、それなら生徒は笑わないし、教師も叱らない/“maîtresse” は、教師も指摘するが最後の “s” が抜けている〕。「君がこれを書いたのか?」。ゼラティは、口ごもり、代わりにジョーが、「書いたことはマズかったし、それを渡そうとしたのはもっとトロかった」と言うと、笑い声は より大きくなる(3枚目の写真)。このメモの言葉は、映画をよく観ていると分かる。それは、教室の壁に有名なポスターが貼ってあり、ゼラティはその標語をもじったのだ。ポスターは、1941年の5月1日の労働祭の日に300万枚刷られたもの。ドイツ軍に敗北した結果誕生した「フランス国」の初代首相になったフィリップ・ペタンが、1941年3月14日にInstitution de la Retraite des Vieux(老齢退職者協会)で行った演説の中にあった「Je tiens les promesses, même celles des autres, lorsque ces promesses sont fondées sur la Justice(他人がどうであろうと、私は約束を守る。その約束が正義に基づいている限り)」と言う言葉から、前半の部分だけを取り出して、労働祭の日のプロパガンダにした非常に有名な言葉。ゼラティは、“promesses” を “maîtresse” に置き換えた文字遊びをしたことになる。
  

学校から帰った兄弟が、父の経営する床屋の前でじゃれている。ジョーは、ナチスの将校が2人、舗道をこちらの方に歩いて来るのを見つける(1枚目の写真、赤の矢印が将校、黄色の矢印の先は次に述べる貼り紙)。ジョーは、戸口の脇に貼ってある「Jüdisches Geschäft(ユダヤの店)」とドイツ語で書かれた紙を兄に示す。彼が、やったのは、2人で並んで立って その紙を見せないようにすること。将校が店の前まで来ると、ジョーがナチス式に手を上げる。それを見た将校は、ジョーの頭を撫で(2枚目の写真)、店に入って行く(3枚目の写真、矢印の先にジョーと貼り紙)。店で待っていた客は全員ユダヤ人なので〔非ユダヤ系フランス人もいない〕、ショックを受けるが、ジョーの父は平気で「ボンジュール」と微笑む。「いかが致しましょう」。「ヘアカットだ」。将校が入って来た後に、2人が入って来て、ジョーがニヤリとしたのを見て、父は息子が何をしたか分かる。「どうぞ、こちらへ」。将校の1人はかなりフランス語ができる。「あの2人の子は、君の息子か?」。「ええ。大きい方もそうです」〔店は、父と2人の長兄で営業している〕。「2人のチビどもは、戦争ごっこが好きなようで」。「戦争か。恐ろしくないか?」。「相手によります」。「(この戦争は)ユダヤの奴らのせいだ」。父の手がとまる。将校はお金を渡し、出来栄えに満足そうだ。しかし、父が、「ところで、ここにいる全員がユダヤ人です」とにこやかに告げると、表情がこわばる(4枚目の写真)。
   

夜になり、屋根裏部屋ではジョーと兄がベッドではしゃいでいる。止めに来た母が、兄に「ベッドに入りなさい」と言うと、兄は、ナチス的に手を上げ、「ヤヴォール〔“Jawohl”/ドイツ語の「はい」〕」とふざける。ジョーもすぐ真似をする。母は、ジョーに、「パパから聞いたわよ。二度とやってはだめよ」と注意するが(1枚目の写真)、あまり効果があるとは思えない。ここで、一気に3ヶ月飛び、「1942年5月」と表示される。まさに「花の都パリ」の季節だ。学校から帰った2人の前で長兄が新聞を読んでいる(2枚目の写真)。いわゆる「黄色い星(中央にフランス語でユダヤ人を意味する “Juif” がヘブライ語風に書かれた黄色のダビデの星)」の着装強制命令だ。歴史上、フランスで強制されたのは1942年6月7日なので、「5月」という表示とは食い違っている〔あるサイト(英語)には、5月29日に始まったと記された例が1つある、と書いてあったが…〕。2人の長兄は、翌日パリを離れると言い出す。ジョーは、父に、「僕がお店であんなことしたから、復讐されたの?」と心配そうに訊く(3枚目の写真)。父は、「いいや。そんなこと考えるんじゃない」と優しく言う。
  

翌日、兄弟は「黄色い星」を胸につけて登校する(1枚目の写真)。あちこちから、「あいつ、ユダヤなんだ」という声があがる。ジョーは、じろじろ見ている生徒たちに、「なんで、そんな風に見るんだ?」と訊く。「お前がユダヤ人だなんて知らなかった」。ゼラティが「だからって、何も変わらないだろ?」と擁護する。「何もかも、変わるんだ」。ジョーは、「どんな風にだ?」と挑戦的に訊く。すると別の生徒が、「お前は、ユダ公〔Youpin〕になったのさ」と言い、他の生徒たちも笑う。別の生徒も寄って来る。「お前たちがイエスを磔にしたんだ」。ジョー:「僕がやったとでも言いたいんか、このトンチキ」。「トンチキはお前だ」。「ユダヤの血は、嘘つきだ」。ジョー:「僕の血がどうした。昨日と同じだろ?」(2枚目の写真)。「ユダヤのせいで、ドイツがフランスに来たんだぞ」。「そうだ」。ジョー:「取り消せ」。「お前のせいだ〔Tu fait〕」。この言葉とともに、ジョーは地面に突き倒される(3枚目の写真)。それを見た兄が助けに入るが、今度はより上級生から殴られる。学校が終って。ジョーに偏見なく接してくれたのは、積極ゼラティだけだった。ゼラティは、ジョーの「黄色い星」と、自分の持っているビー玉を全部入れた袋とを交換してくれる〔映画のタイトル『Un sac de billes(ビー玉〔複数〕の入った袋〔単数〕)』は、ここから来ていると思われるが、なぜか映画の中で出てくるのは、ここと、その直後だけ〕
  

家に戻ると、待っていた母が、2人を食卓に座らせる。「食べて。冷めるわ」。兄:「どうかしたの?」。横に座った父が、難しい顔で話し始める。「これから、ヤコブお祖父さんと私に起きたことを、お前たちに話す。随分昔、ロシアで暮らしていた村で、ユダヤ人に対する暴動が起きた。『虐殺』と呼ばれている。祖父は、私のところに来て、1人で逃げて 助かれと言った。私は そうした。そして、今日…」。兄は、「僕らの番?」と訊く。「そうだ」(1枚目の写真)。ジョーは、「いつ?」と訊く。「今夜だ」。母は、長兄2人は既に自由地域に向けて発ち、ニースの友人宅で待っていることになっていると話す。ジョー:「なぜ、一緒に来ないの?」。「危険過ぎるの。人目を引きやすいわ。別々の方がいい。2人の子供だけなら、誰も疑わない」。兄:「ママたちは?」。「明日、発つわ。来週には、ニースで会いましょ」。そして、1枚の簡単な地図を見せる。「あなたたちは、アジェモー(Hagetmau)から自由地域(Zone Libre)に入るの(2枚目の写真、太く黒い曲線が自由地域の境界/右のカラー地図は1940年7月~1942年11月の状況を示している)「これが、一番安全なルートなの」。る。ジョーはいかにも不安そうだ(3枚目の写真)。父は、旅費として2万フランを渡す。今度は父が、「密出国させてくれる人は、青いよろい戸のレストランにいる。詐欺師が多いから気をつけろ」と言う。母は、なすべきことの手順を書いた紙を見せて説明する〔この時期の通貨換算は不可能に近い。1944年のフランスのブラックマーケットで、1ドル=288フランという数値がある。また、戦時中は1ドル=4円で、1942年の4円は現在価値11500円という試算もある。これによれば、2年違うが、1ドル=288フラン=11500円から、1フラン≒40円となる。一方、1929年には1ドル=25フランだった。1931年は1ドル=2円、1931年の2円は現在価値17800円。2年違うが、1ドル=25フラン=17800円から、1フラン≒710円となる。1938年にはフランの価値が75%下落したとあるので、1ドル=72フラン=20000円から、1フラン≒270円。後は、比例計算するしかない。1938年で270円、1944年で40円なので、1942年は105円となる。非常におおざっぱだが父が渡した2万フランは現在の200万円という多額にのぼる(1944年の換算でも80万円)〕
  

次は、観ていて いたたまれないシーン。父は、「一番重要なことだ。何があろうと、誰にも、お前たちがユダヤ人だと言ってはならん。約束しろ」と迫る。「私たちは、ユダヤ人であることを誇るべきだが、今は危険すぎる。そして、隠すことは臆病じゃない」。兄に続き、ジョーも、「約束しまう」と言う。父は、ジョーに、「ユダヤ人か?」とフランス語で何気なく訊く。ジョーはテストだと思い、軽い気持ちで「ううん」と答える(1枚目の写真)。父は、思い切りジョーの頬を引っ叩く。驚くジョーに、今度はイディッシュ語で「ユダヤ人か?」と訊く。ジョーは「ううん」と答える。再び父のビンタが飛ぶ。「イディッシュ語で訊かれても答えるな!」(2枚目の写真、叩かれた左頬が赤くなっている)。そう注意すると、今度は、尋問調に「お前はユダヤ人だ。正直に答えろ」と言い、三度目、引っ叩く。「やめて!」。「このユダヤ人め! 白状しろ」。「違う」。「ユダヤ人だと言え」。「違う! ユダヤ人じゃない!」。「ユダヤ人だとバレてるんだぞ!」。「違う!」。言いながら、ジョーは泣いている。そんなジョーを、父は思い切り抱きしめて「悪かった、ジョー」と謝り、頬を両手で押えて顔をじっと見ながら、「殴られることを恐れて命を失うよりは、殴られる痛みに耐えろ」と諭す(3枚目の写真)。「分かったな?」。頷くジョーの額に父はキスをする。我が子の命を救うために、殴ってまで教え込む父親の辛い心情に、ナチスによるユダヤ人狩りの恐ろしさを実感させる身震いするシーン。撮影で本当に叩いているとは思わないが、頬が次第に赤く染まっていく様子は実にリアルで痛々しい。
  

2人の兄弟は、その直後、夜の通りに旅立って行く(1枚目の写真、矢印)。家を出るにあたって、ゼラティからもらったビー玉の袋を ジョーが物欲しそうに手に取り、そして、置いて行くシーンがあった。それを受けて夜の街路で、兄は、「心配するな。ビー玉なら山ほど買ってやる」と慰める。「ほんと?」。なぜ、ジョーは持って来れなかったのか? なぜ母は禁じたのか〔映画のタイトルにかかわることなので〕? 次のシーンは、早朝のオステルリッツ駅。フランス南西部に向かう鉄道の起点駅だ〔19世紀中葉、パリには5つの鉄道会社が乗り入れ、それぞれ個別の起点駅を持っていた。因みに、鉄道発祥の地ロンドンの方が、会社は多く起点駅も多い/東京にも官設鉄道の新橋駅と日本鉄道の上野駅があった〕。ホームに停まっているのは、スペイン国境の町イルン(Irun)行きの汽車。2人の目的地ダクス(Dax)は、その85キロ手前の町だ。ホームはパリを逃げ出す人で混み合っている(2枚目の写真、矢印はジョー)。列車の中は満員なので、子供優先で2人は何とか乗車できた。3等の車内は個室化していないコンパートメントで座席の仕切りはない。空いていた1人分の場所に2人で座る。兄は、昨夜母が見せてくれた紙を取り出す(3枚目の写真)。一番上には、「オステルリッツ駅」。2~3行目には、「汽車(3等) 行き先 ダクス」。4~5行目には、「自動車でアジェモーへ」と書かれている。真夜中。石の高架橋を渡る汽車が空撮で映り、そのままカメラは接近し、窓越しに寝ている兄と起きているジョーの顔がアップで映る。ジョーの独白。「両親がいない最初の夜だ。これから どうやって逃げるんだろう?」。カメラは車内に切り替わり、ジョーはぐっすり寝ている。
  

朝、ジョーは兄に起こされる。「起きろ、大変だ」。列車が走る横の線路上を人々が逆方向に走っている。車内の乗客は、乗った時に比べ10分の1ほどに減っている。その乗客たちも一斉に窓の外を見ている。「どうなってるんだ?」という声が飛び交う。汽車が速度を落としている。外を走っている人々は、列車から飛び降りて逃げた人たちだ〔逃げた全員がユダヤ人〕。そのうちに、射撃音が聞こえる。2人の目には、ドイツ兵と猛犬、そして、兵士の銃で撲られる人々が生々しく入ってくる(1枚目の写真)。そして、汽車はダクスの駅に到着する。駅は、ドイツ兵が厳重に固めている(2枚目の写真)。2人は車内から出ようとするが、出口からはドイツ兵が入ってくる。進退窮まった兄弟を救ったのは、神父だった。2人を自分の両脇に座らせる。ジョーは、すぐに、「僕たち 身分証持ってないんです」と打ち明ける(3枚目の写真)。
  

神父は、「恐怖を顔に出すと、気付かれる」と言い、鞄の中からリンゴを取り出し、2人に「食べなさい」と渡す(1枚目の写真)。兄は、母から渡された紙を丸めて床に捨てる。ドイツ兵が2人のいるコンパートメントにやってくる。神父は身分証を渡し、「だいぶ痩せたが、私です」と苦笑いする〔写真がかなり古かった?〕。そして、兵士の腰ベルトの留め金に彫ってある「Gott mit uns(神は我らと共に)/ドイツ国防軍の標語」を見て、ドイツ語で読み上げ、さらに、フランス語で「Dieu avec nous」と言い直し、「いいですね〔C'est bien〕」と添える。そのドイツ兵にフランス語が分かったかどうかは分からないが、神父が「子供たちは、私と一緒です」と身振りで示すと(2枚目の写真)、納得してくれた。2人は神父と一緒に列車を下りる。駅舎との間は物々しい雰囲気だ(3枚目の写真)。駅を出たところにバスが停まっている。ドアが閉まりそうになったので、兄が走って行き閉まらないようにする。兄が、「ありがとう、神父さん、僕らのために嘘付いて下さって」と言うと、神父は、「嘘などついておらん。世界中の子供たちは私の子供だ」と言い、バスに乗り込む2人に、「誰も信じるんじゃないぞ」と忠告する(4枚目の写真)。そして、ジョーの顔が緊張したままなので、「少しはにこやかにしたらどうだ。リンゴが毎日食べられるとは限らんぞ」と冗談まで言う。いい神父さんだ。WW2中、ナチスの迫害を受けた子供たちがカトリックの修道院に匿われたことは事実。
   

アジェモーはダクスの東南東35キロにある町。辺りはすっかり明るくなっている。青いよろい戸のレストランを見つけると、その脇には、既にユダヤ人の家族が数組待っていた。木の柵の間からその様子を窺っていた2人に、自転車でやって来た男が声をかける。「おい、密出国屋を捜してるのか?」(1枚目の写真)。兄は、父の注意を覚えていて、否定する。しかし、男は、「密出国屋は、ここに8時にやって来る。ブロシェって奴だ。1人1万とられるぞ」。ジョーは、「2万?」と驚く〔汽車賃を払ったので、所持金は2万フランを割っている〕。「そうさ。俺ならもっと安いがな。だけど、密出国屋は捜しとらんのだろ?」。兄は、「ちなみに、幾らなの?」と訊く。「そうだな… 1人1000だ。ただし、値引きはせん」。兄が「値引きすると?」と訊くと、男は「じゃあな、パリっ子」と言って去ろうとする。ジョーは、兄を無視し、思わず「それでいいよ」と言ってしまう(2枚目の写真)。戻って来た男は、「じゃあ、今 半分よこせ。残りは向こうに着いてからだ」と手を出す(3枚目の写真、矢印はお金)。金を取ると、「契約成立」と言った後で、「今は、いろいろ配達がある… 終わったら、ちょっくら手こきでもしてだな… 暗くなったら、そこの角で会おう」と言う。兄は、「今 行くんじゃないの?」と訊く。「いいや。危険過ぎる。じゃあな。俺はレイモンだ」。ジョーは、嬉しそうに、「じゃあねレイモン、僕ジョーだよ」と手を振る。レイモンが去った後、ジョーは、「いい人だね」と兄に言う。兄は、「『じゃあねレイモン、僕ジョーだよ』だ? 1000フラン損したんだぞ」と怒る。ジョーは、「冗談だろ。18000節約したんじゃないか」と反論する(4枚目の写真)。即断即決で 気丈なところがジョーの持ち味。
   

辺りは暗くなってきたが、レイモンは現れない。ジョーは「何してるんだろ?」と心配になる。兄は「『ちょっくら手こきでもしてだな』って、聞かなかったのか?」と皮肉る。「どういう意味かな。ムカムカする感じ」。「さあな。時間がかかるのさ」(1枚目の写真)。そして、辺りは真っ暗に。兄は、「レイモンに一杯食わされたな。パパが警告してた通りだ」とブツブツ。その時、遠くからドイツ軍の小隊がオートバイとトラックでやって来るのが見え、2人は急いで隠れる。一行は森の方に消えていった(2枚目の写真)。ジョーは「どこにでも、あいつらがいる。僕らには無理なんだ」とパニック状態になり、兄は「もう少し待とう」と慰める。すると、自転車のチャイムの音がして、レイモンが現れる。「おい、パリっ子、大丈夫か?」「こっちだ」。レイモンは自転車を側溝に横倒しに置くと、そこから森に入って行く(3枚目の写真)。3人は、真っ暗な森の中を、レイモンを先頭に進む。しかし、途中でドイツ軍の銃声が響き渡る。3人は地面に伏せる。襲われたのは、3人ではなく、ブロシェに率いられたユダヤ人たちだった。レイモンは、「ブロシェ親爺が捕まっちまった」と言う(4枚目の写真)。「一度に12人も連れてくから、バレちまうんだ。音を立てすぎる」。その時、すぐ近くで枝の折れる音がする。それは、ブロシェと一緒に来て迷った一家だった。レイモンは1人1000フランで引き受ける。そして、無事 川を渡り自由地域に入ることに成功する。結局、ジョーの判断は正しかった。
   

10分ほどで納屋が見えてくる。「あそこに入れ。藁の上で寝られる」。ジョーは、「ここは、自由地域なの?」と尋ねる。「10分前から入ってる」。兄は、「もう? こんなに簡単に?」と驚く。「がっかりしたか? 言ったろ。俺と一緒なら、危険もドイツ野郎もない」。2人は納屋で休む(1枚目の写真)。ジョー:「自由地域って、何が自由なのかな?」。兄:「寝ることさ」。そして、翌日、2人は、「♪20キロ歩くと、靴が減る」と歌いながら、未舗装の田舎道を歩いている(2枚目の写真)。母の書いたメモは、映像からは下半分がよく見えなかったが、トゥールーズ、モンペリエ、マルセイユ、ニースという文字は何とか読み取れた。アジェモーからトゥールーズまでは、直線距離で160キロ、そこからモンペリエまでは200キロ、マルセイユまで120キロ、ニースまで160キロ、計640キロにもなる。母は、こんな膨大な距離をどう行かせるつもりだったのだろう? 「来週には、ニースで会いましょ」と言ったので、「歩く」という発想はなかったはずだ〔1日30キロ歩いても、道路は真っ直ぐではないので1ヶ月はかかる/因みに、原作では、2人は25キロ東にあるエール=シュル=ラドゥール(Aire-sur-l'Adour)まで車に乗せてもらい、そこからマルセイユ行きの汽車に乗る〕。歌が「23キロ」に変わったあたりで、ジョーは足が痛くて歩けなくなる。そこで、道路脇に座って靴を脱ぎ、靴下を脱ごうとするが、靴下には血が滲み、痛くて脱げない(3枚目の写真)。兄:「これじゃ、もう歩けないな」。兄はジョーを背負って歩き始める。「お前の足、臭いな」。「お兄ちゃんの尻だって臭いよ。けど、ありがとう」。「構わんさ、弟なんだから。世界の果てにだって連れてってやる」(4枚目の写真)。とは言ったものの、2人分の荷物と、5歳しか違わない弟の重さに耐えかねて100メートル行かないうちにダウン。ジョーは、「『世界の果てにだって?』」と皮肉る。「うるさいな」。
   

結局、2人はヒッチハイクをすることに(1枚目の写真)。停まってくれたおじさんに、「バテたのか?」と訊かれ、先に乗り込むジョーは、「それは、お兄ちゃんの方です」と口が減らない〔ジョーはケガだが、兄は本当にバテたので、正しいのかも…〕。その車は、後ろに豚を乗せた小型トラックだった。トラックを降りてからも、2人は気ままに旅を続ける。「モーリスと僕は、幹線道路を通らないようにルートを変えた。こんな風に2人で自由に旅するなんて素敵だった。そのうち、逃げるためにこうしてるって忘れてしまった。ここには両親も学校もない。あれこれしろと言う人間なんか誰もいないんだ」。2人は再び小型トラックに乗っている。今度のおじさんは、兄にタバコを吸わせる。そのタバコをもらって吸ってみたジョーは気分が悪くなる。運転手は、「気をつけな、ちびちゃん。女の子むきじゃないんだ」と笑う(2枚目の写真)。「僕らは、旅の途中でいろんな人に出会った。すごく楽しい人もいたけれど、みんな怯えていた。隠そうとしてたけど、彼らの目はそう語っていた」。そして、2人は、汽車にもバスにも乗らず、ついに海を見下ろす崖の上に着く。眼下にはニースの街があった(3枚目の写真)。次のシーンでは、2人はもうニースの海岸通り、「イギリス人の遊歩道」を楽しそうに歩いている。背後に、5つ星のホテル・ネグレスコも見える。2人はオープン・マーケットに入って行く。ジョーは、ニース名物のソッカ(Socca)を2切れこっそり頂戴し、兄と分けて食べる〔2人の旅行スタイルから、父から渡された2万フランの8割は残っているはずだが…〕。2人の旅の最後は、父の床屋に向かって駆け下りて行くシーン(4枚目の写真)〔その直前に、2人が道を尋ねる神父は、後でもう一度登場する〕
   

両親と感激の再会をして、どのくらい経ったのかは分からない。「幸せは、悲しみよりずっと速く過ぎる。僕たちはやっと一緒になれた。もう何も要らない」。そして、ジョーが父母に甘えているシーンにつながる(1枚目の写真)〔このシーンは、「いつ?」という点で、よく分からない。原作では、2人が向かった先は、長兄2人が逃げて行ったイタリア国境に近いマントン(Menton)。2人はそこで4ヶ月を過し、ニースにいる両親の元に行き、そこで夏も過ごしたとある。これは1943年の夏であろう〕。そして、画面は変わり、「3ヶ月後」と表示される〔最大の疑問点〕。ジョーが市場内で物々交換をやっている。何を交換しているのかよく分からないが、4回目の交換で小麦粉の大袋2個になる。しかし、そのうち1つには穴が開いていてどんどん漏れてしまう。結局、小麦粉の大袋1個と交換できたのはタバコ1カートン(2枚目の写真)。そして、そのタバコはイタリア駐留軍の兵士〔雰囲気として軍曹?〕の手に。ここでやっと、ブツがお金になる(3枚目の写真)。兵士は、「今までの金で、いったい何するんだ?」と訊く。「名案があるんだ。じゃあね、マルセロ」と名前で呼ぶので、すごく親密なことが分かる。路地のカフェのテーブルでは、父と他2人のユダヤ人とマルセロの4人が賭けトランプをしている。父の横にくっついているジョーに、父は「また市場に行ったのか?」と訊く。「そうだよ」(4枚目の写真)。
   

ところが、ゲーム中のマルセロに部下が寄って来て耳打ちする。マルセロの表情が変わる。父:「どうした?」。「ムッソリーニが逮捕された〔Mussolini a été arrêté〕。ローマは大混乱だ。我々は明日イタリアに帰る。バカンスは終わりだ」(1枚目の写真)〔この言葉が謎。ムッソリーニが王党派と統合参謀本部総長の決断で突然逮捕されたのは、7月24日のローマのグランディ決議後の翌日の夕方だった。マルセロの口にした「逮捕」が このことを意味するとすれば、この時点で7月26日。先の「3ヶ月後」の表示によれば、一家が海岸で泳いでいたのは4月末となり、いくらニースでもまだ泳ぐ季節ではない。もしこれが、1943年9月8日のイタリア王国政府と連合国側との休戦を意味するのなら話は通る(ただし、ムッソリーニは無関係)。9月8日の3ヶ月前は6月初旬で、これなら泳いでいても不思議はない〕。ジョーは、父に「戦争は終わるの?」と尋ねる。「違う。ドイツ軍がやってくる」(2枚目の写真)「ママには言うなよ。サプライズをぶち壊したくない」。サイプライズとは、その日の夜の行事。屋根裏に家族全員が集まり、ジョーが大きな箱を持って来る。母は、ジョーに、「これ何なの? 私に?」と訊く。ジョーは嬉しそうに何度も頷く。中に入っていたのはバイオリンだった〔母はバイオリニスト〕。母は、パリから逃げ出す時、バイオリンを置いてきたのだろう。以来、1年3ヶ月、演奏できていない。いかに喜びが大きいかが分かる。「だけど、どうかしてる。こんなことするなんて」。そう言われた父は、「私じゃない。子供たちだ」と答える〔もちろん、大半は父が出したのだろう〕。母に見られた長兄たちも首を振る〔遠慮したのだろう〕。結局、母の感謝はジョーに向けられる〔市場での「商売」は、このためだった〕。ジョーは、「ママのためじゃない。僕のためだ。ママが弾くのが聴きたかった」と百点満点の返事(3枚目の写真)。母は、バイオリンを手に取ると、ユダヤの曲を弾き始める(4枚目の写真)。
   

しかし、演奏のさ中に、隣の部屋のドアがノックされる。「警察だ。開けなさい!」。この言葉で一家に緊張が入る。父は、ドアの外のやりとりに耳を澄ます。「ジョフォさん? アンリとアルベールへの召喚状です」〔ジョフォはジョーの家族名、アンリとアルベールは2人の長兄〕。「ジョフォじゃないわ」。「ここは6番地じゃないのですか?」。それを聞いた両親は、2人の長兄を屋根の上に逃がし、ジョーと兄はベッドの下に隠れる。父はなぜか母も隠そうとし、1人で応対することにする。「アンリ・ジョフォとアルベール・ジョフォは、ここですか?」。「そうです。今は出ています」。「これは、STOの強制労働への召喚状です。明日、この住所に出頭させて下さい」〔STO(Service du travail obligatoire)はフランス人を対象にした強制労働→一家はユダヤ人だとは思われていない〕。しかし、事はそれだけで済まなかった。バイオリンの音も警官の耳に入っていた。「あなたが弾いたのですか?」。「いいえ。私は昼寝をしてました」。これが疑惑を呼ぶ。音が聞こえないはずがないからだ。身分証の提出を求められる。その様子をジョーたちは隠れて見ている(1枚目の写真)。「ユダヤの音楽でしたね?」。父は、「ユダヤ?」とトボける。「ユダヤでしょ? どうなんです?」。そこで、隠れていた母がバイオリンを手に助けに出てくる(2枚目の写真)。母は、警官に、「音楽はお嫌い?」と尋ねる。父は、「この方は、ユダヤの音楽が嫌いなんだ」と説明する。「まあ、そうなの。でも、私はロシア人ですのよ。それを誇りにしていますわ。私の旧姓はマルコフです。皇帝ロマノフ家の末裔なのよ。私がユダヤの音楽を弾いていたなんて侮辱だわ」。警官も、ロマノフ家の末裔にはタジタジ。早々に退散する〔末裔が 本当かどうかは分からない〕。警官が引き揚げた後、父は母に、「ここを出て行かないと」と告げる。そして、ドイツ軍が進攻してくる様子が映る(3枚目の写真、右下に一家の床屋)〔1943年9月8日に王国政府が連合国側と休戦を発表すると、南仏の地域はドイツ軍に占領された。しかし、即日は無理だろうから、いくら早くても数日後であろう/右上のカラー地図は1943年10月~1944年夏の状況を示している〕
  

両親は、ジョーと兄を、ヴィシー政権によって設立されたモワソン・ヌーヴェル(Moisson Nouvelle)という学校〔ボーイスカウトをもっと厳しくした形で、軍事教練を含めて規律ある集団生活を送らせる全寮制の学校〕に連れて行く(1枚目の写真)。ジョーは、ニースで母に再会した時に、「二度と、あんな風に別れ別れにしないで」と頼み、「二度としない、約束する」という言葉をもらっていたので、「二度と別れないって約束したじゃないか。ママは嘘つきだ。一緒にいたいよ!」とパニック状態になる。「落ち着いてちょうだい。他に途はないの。私たち、強くならないと。できれば一緒にいたいけど、どうしてもできないの」(2枚目の写真)。ジョーは、「別れるのなんてヤだ。パリに戻りたい」と駄々をこねる。それを聞いた父は、「やめなさい、ジョー。それは無理なんだ」。ジョーは、「こんなとこにいたくない。一緒にいたいよ」と涙を流して頼む。父は、「いい加減にするんだ、ジョー、もっと自覚を持て。もし、私たちがみんなそんな風に泣いたら、どうなる? お前とは一緒にいられない。危険過ぎるんだ。過去は振り返るな。将来だけを見なさい。私たちはもう行くが、きっとすぐに会える」と毅然と告げる(3枚目の写真)。両親が去った後、校長は2人を寮に連れて行く。その途中で、①この学校がペタン〔あらすじの第1節で追加説明した「フランス国」の首相〕に忠誠を誓うものであること、②100人の生徒たちのほとんどはカトリックでないが、そのフリをしている、と教える。そして、「君らはカトリックか?」と訊き、兄は、「もちろんです〔Bien sur monsieur〕」と答える。ジョーは「はい」だけ。「誰が信頼できるか、自分で見定めなさい。すぐに分かる」。
  

寮の大部屋にはベッドがぎっしりと並んでいる。そこの1つをあてがわれたジョーは、さっそく両親の写真を見て名残りを惜しんでいる(1枚目の写真)。隣の兄のベッドに腰掛けた1人の生徒が、「気をつけろ。ユダヤ人だなんて言うんじゃないぞ」と話しかける〔忠告なのか、罠なのか?〕。ジョーは、父の殴打で仕込まれたので、「僕ら、ユダヤじゃない」と即座に否定する。「そう思ったよ。俺も違うんだ」。兄は、なぜかジョーに向かって、「知らなかったのか? ここにはユダヤなんかいないんだ、シュモック〔Schmock/イディッシュ語で「間抜け」〕」と言う。イディッシュ語を使うのは、危険な行為だ〔兄の方が不注意〕。しかし、相手は、「心配するな。俺たちは仲間だ」と言ったので、幸い「信頼できる」生徒だった。彼は、近くに来た生徒を、「あれは、アルジェリアから来た奴だ」と教える。その生徒は、「俺ことを話してるのか?」と寄って来ると、「よお、新入り」と握手する。ジョー:「アフリカから来たの?」。「ジャングルで象と暮らしてたと思ってるんか? アルジェからだ」〔ジョーは、アルジェがアルジェリアの首都だと知らないので、発言に戸惑う〕。兄:「どうして、ここに?」。「実を言うと、パリの兄貴のとこにいたんだ。そしたら、イギリス軍がアルジェリアに上陸したから帰れなくなった〔アルジェリアは、その後 シャルル・ド・ゴールの自由フランスに帰属した〕。その上、兄貴がかのじょとくっついたから、ここに放り込まれたのさ」。その話を聞いていたジョーは(2枚目の写真)、「両親が恋しくならない?」と訊く。結果は想像の全く逆だった。アルジェの少年は自分の父親を茶化し、兄弟の心はほぐれる(3枚目の写真、矢印はアルジェの少年)。
  

雨の激しく降る日、兄弟とアルジェの少年を含む5人でジャガイモの皮を剥いている。その中で、新入りで年長の少年が、「ドイツ野郎はどこにでもいる。ユダヤ人を乗せた汽車が、金曜ごとにドイツに向かってる。ニースはパニックさ。俺たちはここにいられて幸せだ」と話す。彼もユダヤ人なのだろう。そこに、1台のトラックが勢いよくバックしてきて、せっかく剥いたジャガイモ入りの大バケツと、すぐ横の柱にぶつかる(1枚目の写真、矢印はジャガイモ)。運転していたのは、学校の雑用係の男〔後で、重要な役を演じる〕。そして翌日、全員が教練のために集合させられる。兄は、戸口でジョーを引き止め、「あの話聞いたろ。ドイツ野郎がユダヤ人を捜し回ってる。奴ら、そのうちここに来るかもな」と話す(2枚目の写真)。「で? 僕らカトリックだろ?」。「ジョゼフ・ジョフォ。クリニャンクール(Clignancourt)のユダヤ人地区出身。それで十分だろ。それに、お前の『エンドウ豆』を見りゃ確定だ」〔割礼の有無のチェック〕。「もう、『エンドウ豆』じゃないもん!」。「なら、何なんだ?」。「えーと、『ズブブ』だよ」(3枚目の写真)。「誰から聞いた?」。「アルジェの子。僕たち、そこから来たことにすれば?」。「アルジェからか?」。「そう。あの子と同じこと言えばいい」。「そりゃ名案だ。調べようがないからな」。訓練で、有刺鉄線の下をほふく前進しながら、ジョーが兄に話しかける。「どこに住んでたことにする?」。「ジャン・ジョレス(Jean Jaurès)通り10番だ」。「どうして?」。「どこにでもあるし、10なら覚えやすい」〔ジャン・ジョレスは有名な政治家で、確かにフランスの都市の多くの通りの名前になっていて、アルジェにもある〕(4枚目の写真)。「家とか居間(の中の様子)は変えないでおこう。パパは床屋でママはバイオリニスト。間違えなくて済む」〔名前も変えない〕
   

訓練が一段落して休んでいる時、ジョーが、「寂しいよ」と言い出す。「僕もだ」。「連絡がぜんぜんないなんて変だよ」。「電話が危険なのかも」。「会いたい」。その時、兄が後ろを振り返ると、昨日のドジ運転手がトラックのところにいた(1枚目の写真、矢印)。2人は校長に相談せず、男のトラックに乗ってニースに向かう。雑用係:「ニースに家族がいるのか?」。兄:「散歩するだけ」。「『イギリス人の遊歩道』に行って女の子でも探すのか?」。「そうだよ」と答えたのはジョーの方。かくして一行は楽しくニースに向かうが、男がトラックを乗りつけた場所は路地の行き止まりの門の前だった。兄:「市場じゃないよ」。「2分だけだ。待ってろ、すぐ戻る」。男は、車の中で待つように念を押し、門を開けて中に入って行く(1枚目の写真)。2人はそのまま待ち続けるが、男は帰ってこない。兄は、「ずい分待ったぞ。何やってるんだ?」と言い出す。ジョーは、「待ってろと言った」と言うが、兄は、「僕を待ってろ。動くんじゃないぞ。僕らは歩いて市場に行くって言ってくる」と言い残し、中に入って行く。今度は、兄が帰って来ない。ジョーは、お気に入りの青いビー玉を取り出し、ガラス窓の上で転がしながら待ち続ける(3枚目の写真、矢印)。そして、遂に待ちきれなくなり、中に入って行く。その場所は、ドイツ軍が仕掛けた罠だった。ジョーは歩き廻るうち、いきなり兵士に銃で顔を強打される。そして、床に倒れて気を失う(4枚目の写真)。
   

この罠で捕まった何人もの人たちは、軍のトラックに乗せられ、ニースのホテル・エクセルシオに設けられたドイツ軍の地区本部に連れて行かれる。2人には、一緒に捕まった学校の男から、「何も言うなよ」と声がかけられる(1枚目の写真)〔映画の撮影の場所は、ホテル・エクセルシオではなくニース司法宮(Palais de Justice)の東棟〕。2人は建物の中に連れて行かれる。ジョーの出血はどんどんひどくなっている(2枚目の写真)。取調官の前に先に連れて行かれたのは学校の雑用係。彼は、なぜか身分証を4つも持っていた。「普通なら、名前と宗教を訊くんだが、これじゃ訊きようがない。なぜ偽の身分証をこんなに持ってる? お前はユダヤ人か?」。「違う」。「ユダヤ人とは違う?」。「違う」。「なら、レジスタンスだな」。「違う」。取調官は、男の頭に拳銃を突きつけさせる。そして、「レジスタンスならすぐ射殺する。お前はレジスタンスか、でなければユダヤだ」と訊く。写真は、怯えたジョーの顔(3枚目の写真)。「違う」。男は部下に殴り倒され、顔から血を流して立ち上がる。「俺は、ユダヤだ。それが、お前の知りたかったことか? 俺はユダヤだが、レジスタンスでもある。殺したけりゃ殺せ。何も変わらん。お前たちの得にもならん。もう既に負けてるからな。俺は、ユダヤでレジスタンスだ、このくそったれ野郎!」。取調官は顔色一つ変えず、「こいつはレジスタンスだ」と宣告する。
  

そして、兄の番となる(1枚目の写真)。「姓、名、宗教」。兄は、「聞いて下さい。僕たち、何もしてません。モワソン・ヌーヴェルの生徒です」と言う。しかし、取調官は完全に無視。「姓、名、宗教」とくり返す。「モーリス、ジョフォ、カトリック。モワソン・ヌーヴェルからフェルディナンの車で買い物に来たんです。何かの間違いです。僕たち、何もしてません」。少しは、話を聞いていたのか、取調官は、兄の後ろのジョーを見て、「お前の弟か?」と訊く。「はい、弟のジョーです」。取調官は、ジョーを前に来させる。「ジョー… ジョセフかな?」〔ヨセフは典型的なユダヤ名〕。「母はマリーです」。取調官は笑う。「じゃあ、ユダヤ人とは違うのか?」。「違います」。それを訊いた取調官が兄の頬を叩く。すると、ジョーは、「やめろ! 僕らはアルジェリア人だ! カトリックのアルジェリア人だぞ!」と怒鳴る(2枚目の写真)。取調官は、「続けるぞ」と言い、「お前はユダヤ人か?」と兄に訊く。「いいえ」。部下が兄をつかみ、肩を殴って床に叩きつける。それを見たジョーは、「止めろ!」と叫ぶと、部下(軍曹?)を机に押し飛ばし、電気スタンドが割れて倒れる(3枚目の写真)。そして、床に倒れた手下をジョーが足で蹴る〔この行動力がジョーの持ち味〕。これを見て取調官は、ジョーを(他の部下に)止めさせず、笑い出す。そして、尋問を切り上げ、「医学検査」に廻す。
  

「医学検査」は、割礼されているかいないかのチェック。2人はユダヤ人なので、当然割礼されている。医者は、「君は、カトリックと言ったね?」と尋ねる。兄:「はい。これは、アルジェリアでしました。予防措置です。癒着防止です」(2枚目の写真)。ここでジョーが口を出す。「そうなんです。あっちでは、みんな『ズブブ』を切るんです。カトリックも全員です」(3枚目の写真)〔アルジェリアなどのイスラム教国では割礼は一般的慣行だが、フランス系住民がする可能性は少ない〕。「ユダヤ人もかね?」。「知りません。あっちではユダヤ人は少ないんです。僕は一度も会ったことがありません。本当です」。「お座り」。2人が座ると、医者は、「私の名はローゼン〔Rozen〕だ。それが何を意味するか知ってるかね?」と尋ねる〔ローゼンは典型的なユダヤ名〕。ジョー。「いいえ。ピンク〔rose〕ってことですか?」。「違う。私はユダヤ人だ。だから、君たちは、『ユダヤ人です』って言っても構わないのだよ」。兄:「あなたはユダヤですが、僕たちは違います」。ジョー:「アルジェリア人です。だから、『ズブブ』を切られたんです。あなたが、ユダヤであってもなくても、すべきことをして下さい」(3枚目の写真)。医師は、ジョーの顔を見て、嘘を承知で決断する。そして係官を呼び、「医学上の処置で、宗教ではない」と告げる。その後、独白が入る。「僕はいつも不思議に思う。なぜ、このお医者さんは、僕たちを助けてくれたんだろう。毎日、何百人に烙印を押してきたのに」。
  

しかし、ドイツ軍が、これで解放してくれた訳ではない。取調べはさらに厳格化する。次のシーンは、ジョーが1人で別の取調官の前に立っている。「…前に言ったように、ジャン・ジョレス通りです」(1枚目の写真)。「学校の名は?」。「アルジェの小学校です」〔曖昧すぎる〕。次に兄のシーンに変わり、「ジャン・ジョレス学校だと思います」〔「思います」は余分〕。微妙な違いが疑念を呼ぶ。次のシーンは夜。ジョーが、「ええ、そうだと思います。間違ってはいません。ただの学校です」。「友だちはいたのか?」。「はい、いっぱい。ゼラティが一番の親友です。ビー玉がすごく上手でした(2枚目の写真)。兄のシーン。「ゼラティ。ビー玉が上手い子です」〔ぴったり話が合った〕。再び夜、ジョーが学校で何をして遊んでいたかに答えていると、突然、机の上の強いライトが顔に当てられ、「私には、真実を述べているか嘘をついているかが分かる。お前は嘘をついている」と責め立てられる(3枚目の写真)。拷問なみだ。
  

2人は頑張った。取調官には 2人を崩せない。そこで、兄に、「お前は、どこで洗礼を受けた? アルジェの大聖堂だろうな?」と訊く。兄は、「いいえ、ニースのビュファ〔Buffa〕通りです。ママの親戚がそこにいたからです」と答える〔ビュファ通りは全長700mの都心部の短い繁華街だが、Saint-Pierre-d'Arèneという小さなカトリックの教会がある〕。「それはいい。簡単に検証できる。2日やる。洗礼証明書を持ってこい」(1枚目の写真)「もし、48時間以内に戻らなかったら、お前の弟を次の汽車に乗せるぞ。分かったか?」。その後、出発前に、兄がジョーと会う場面がある。「どう答えていいか分からなかったんだ。アルジェの教会なんて知らないから」。ジョーは、「もし、うまくいかなかったら、戻って来ないで。2人死ぬより 1人生きた方がいい… だよね〔Mieux un vivant que deux morts, tu ne crois pas〕?」と絶望して言う。兄は、「そんなこと言うな。偽の証明書を持って戻ってくるから」。「そんなこと不可能だよ〔C'est mission impossible/「ミッション・インポッシブル」はトム・クルーズのヒット作」〕。僕のことはいいから〔Sauve-toi〕」。「黙れ。絶対戻ってくる」(2枚目の写真)。ジョーが苦しそうな顔をする。「ジョー、どこか悪いのか?」。「疲れちゃった。もう1週間だよ。うんざりだ。もう終わりにしたい〔Je veux que ça cesse〕」。「聞くんだ。希望があるうちは、あきらめるな〔Quand il y a de l'espoir, rien n'est lâché〕」。そこに兵士が入って来て、兄が呼ばれる。兄が立ち上がると ジョーは横になる。兄は、ジョーの手を握り、「戻ってくるからな」と励ますが、ジョーは首を振る(4枚目の写真)。「必ず戻る。約束だ」。兄弟愛が滲み出た素晴らしく感動的なシーンだ。
  

兄の帰りを待つ間、ジョーは厨房で働かされる。しかし、それまでに溜まっていた心労のため、突然気を失う。目が覚めると、そこにいたのは親切な医者だった(1枚目の写真)。「話すんじゃない。君は昏睡状態だったが助かった。サルファ剤が効いてくれた」〔サルファ剤が発見されたのは1935年なので、貴重な新薬を使ってくれたことになる〕「君は、幸運だったんだぞ。なんせ髄膜炎だったんだからな。命に係わる病気だ」。「兄さんは? 僕、いつからここに?」。「2・3日だ。だが、そんなことは問題じゃない。君は治った。それが重要なんだ」。「そうですね。健康な体で汽車に乗れますから」。この自嘲的な言葉を受けて、医者はこれから自分がどうなるかを打ち明ける。「よくお聞き」(2枚目の写真)「私も行くんだ。他の人たちと一緒に汽車に乗る。これでいいんだ。いいかい、ジョセフ。人生いろいろだ。いつも自慢できることばかりとは限らない」。そして、ポケットから青いビー玉を取り出す。「ほら。君は、昏睡状態にあった時、これを渾身の力で握っていた」。「これ、僕のただ一つの思い出の品なんです」。「もし君が、渾身の力で戦い続けたら、何だって切り抜けられるだろう」(3枚目の写真、医者は、ビー玉をジョーの手に握らせ、その拳を自分の手で包んでいる)。しかし、この言葉も、ジョーの心は素通りする。「生きるって何です? ただの運任せ。下らない。不公平だよ」と本音を漏らす。それでも医者は続ける。これが今生の別れになるからだ。「ジョセフ、運命は、君に2度死ぬことは求めないだろう。君には生きるべき理由がある。それなら、その人生で、何かを成し遂げるんだ。何か誇れることを。君は、私に借りがあるだろ?」〔ジョーは2度救われた。1度目は医学検査で、2度目は髄膜炎で〕。その時、ドイツ兵の命令が響き渡る。その部屋にいたユダヤ人全員と一緒に、この素晴らしい医者も出て行く。この時。ようやくジョーは悟った。医者も汽車に乗せられるということを。医者は、「さよなら、ジョゼフ」と声をかける。そして、ジョーの前で扉が閉まる。この映画には、素晴らしいシーンが多いが、ここが一番好きなので、台詞は全訳した。
  

兄の持参した洗礼証明書に対し、それを書いた神父が呼び出される。「2通とも偽物だ」。「とんでもない。保証します。大司教も宣誓されるでしょう。これらは真正の証明書です」。「信じられんな」。「なぜです?」。「私は一目で真実を見分ける。あんたを見て 分かったんだ」〔神父の態度から欺瞞を感じた〕。一方、兄はジョーに、「ビュファの神父は証明書を2通くれた。校長にも連絡した。僕らを迎えに来てくれる」と楽観的に報告する(1枚目の写真)。神父は、「なぜ、あなたは2人にこだわるのです?」。「ユダヤ人だからだ。首をやってもいい〔Dafür lege ich die Hand ins Feuer/「手を火に入れてもいい」は、ドイツ人が絶対に自信がある時に使う慣用句〕」。意固地な将校は、証明書を破り捨てる。「それは妄想です」。「いいだろう。だが、何も変わらんぞ。奴らは嘘をついてる。あんたもだ」。「大司教は、単なる憶測で2人の子供が非難されることを望まれません。ローマに通報されるでしょう。法王に盾突くお積りか?」。こうまで言われた将校は、神父に証拠を見せてやることにする。厨房で働かされていた2人に、シェフから「お前たち、菜園でトマトをもいでこい」との命令が下る。将校は神父を呼び寄せ、菜園を見せる〔2階のベランダの陰から〕。菜園のすぐ横には門がある(2枚目の写真、黄色の矢印が門、赤の矢印がトマト)。「逃げるのは簡単だ」。命令を受けた兵士が、道路側から押して扉を少し開ける。“逃げろ” と言わんばかりに。トマトの実をもいでいたジョーは、扉がきしんで開いた音に気付く。「あれ見た?」。「ああ」。「行く?」(3枚目の写真)。「行くぞ。いちにのさんだ」。そして、「1」「2」「3、行くぞ」。その瞬間、雲の切れ目から陽が射し、塀の後ろに潜んでいた兵士の影が扉の向こうの歩道にくっきりと映る(4枚目の写真、矢印は影)。2人は際どいところで踏み止まった。「罠だ!」。そして、トマトもぎに集中する。それを隠れて見ていた将校はがっかりし、神父は冷や汗を拭う。
   

こうして、2人はようやく解放された(1枚目の写真)。ジョーの目のケガがほとんど治っているので、拘束が長期にわたったことが分かる。一緒にいる神父は、2人が最初にニースに来た時、床屋の場所を訊いた相手だ。3人が門から出ると、角を曲がって1台の車が現れる。校長の車だ。校長は車から飛び降りてきて子供たちを迎え、神父に感謝する。「あなたは、勇敢な方だ」(2枚目の写真)。「義務を果たしただけです」。そして、2人には「心安らかに行きなさい」と声をかける。校長は、「行くぞ。ここに長居はマズい」と言うが、ジョーは神父まで駆けていって、「さよなら、神父様」と声をかける。車が、司令部から離れると、校長は「振り向いてごらん」と言う。2人が振り向くと、後部座席には父が座っていた」〔だから、校長は急かした〕。ジョーは、後部座席に飛び込んで父に抱きつく(3枚目の写真)。兄は、「ママはどこ?」と訊く。「妹さんと一緒だ。お前たちの兄さんたちはサヴォワにいる。私は、お前たちを捜すために残った」。父は、ジョーの目の傷を見て、「どうした?」と訊くが、ジョーは答えない。代わりに、「あの時、叩かれて痛かったけど、お陰でまた会えたね」と言い(4枚目の写真)、一瞬微笑み、父にすがりつく。学校に向かう車の中で、疲れた兄弟は、父を挟んで眠ってしまい、父は2人を抱いたままじっと考え込む。
   

学校で、以前の日常を取り戻した兄弟だったが、ある夜、校長に起こされる。「お母さんから電話だぞ」。2人は急いで電話の部屋に走る。先に受話器を取ったのはジョー。「ママ? 僕だよ」(1枚目の写真)。母は、「今すぐ、そこを出なさい。お父さんが、あなたと同じ病気にかかったの」と言う〔盗聴を恐れている?〕。「髄膜炎?」。「ずっと悪いの」。母の言いたいことが分かったジョーは、落胆して受話器から手を離す。兄がすぐに電話を代わる。「ママは、パパが逮捕されたって言おうとしたんだ。でも、もう泣かなかった。激しい憎しみがそれに代わった」(2枚目の写真)「もう一度、僕たちは逃げた」。2人が歩いていた場所は、前回よりも高い山の中。今度はジョーの方が元気だ。へたばった兄に、「よければ、運んであげようか?」と無理を承知で訊く(3枚目の写真)。「死んだほうがマシだ。兄貴なんだぞ」。それでも何とか峠は越し、山麓にある羊小屋で夜を過ごす(4枚目の写真)。兄は、1人で藁の上でぐったり寝ている。ジョーは小屋の外に出て月を見ている。「僕たち2人の間には溝ができた。だけど構わない。もし、兄さんと僕が到着できたら、パパだって巧くやってるさ。すべてが良くなるんだ。そう信じるしかなかった」。
   

ここまでの進行は早い。すぐに、「1944年5月。オート=サヴォワ県リュミリー(Rumilly)」と表示される。エクス=レ=バン(Aix-les-Bains)のすぐ近くの町だ。スイスのジュネーヴの南南西40キロと、フランスアルプスにも近い。「戦争が終わるのを待つ間、僕たちはママに言われた通り、仕事を見つけた」(1枚目の写真、矢印はジョー)「兄さんは町の食堂で、僕は本屋で」。そこの主人は町一番のコラボラトゥール(対独協力者)で、その息子はミリス(民兵団)に入り、レジスタンスの掃討が仕事。そんな店で、新聞売りをするとはジョーも大した度胸だ。ただし、ジョゼフという名前を出している割には、誰からもユダヤ人だとは疑われていない。この朝も、新聞を自転車に積んでいるジョーに対し、主人は、世界で最も大事なものはヨーロッパだと言い、それを作った3人の偉大な人物の名をあげる。ルイ14世とナポレオンとペタンだ〔3人ともフランス人なのは、如何にもフランスらしい〕。それを聞いたジョーは、さっそく、以前ゼラティが茶化したペタンの言葉、「他人がどうであろうと、私は約束を守る」を口にする(2枚目の写真)。主人は大満足。そして、ジョーが配達に出かけようとすると、「お前が住み込みで働くようになって6ヶ月が経った。もう家族の一員だ。お前の両親も寂しがっているだろう。アルジェリアは遠いからな」と話しかける。「はい、すごく」。「今日から、お前も一緒に我々と食事を共にし、日曜のミサにも同伴していいぞ。お前は、あまり礼拝に来ないようだが、そろそろクリスチャンとしての信仰を確たるものにしないといかん」。ジョーは、主人の話より、姿を見せたこの家の娘に気を取られている(3枚目の写真)。それでも、「はい。ありがとうございます」と言うことは忘れない。
  

ジョーは、さっそく自転車で新聞を売りに出かける〔フランスには新聞配達の仕組みがない〕。「Le Garbe〔ナチとコラボして発刊された週刊新聞〕」「Le Dauphinois〔Le Petit Dauphinoisのこと。1944年まで発刊された地方新聞〕」などと、持っている複数の新聞の名を叫びながら、町の中を自転車で回って売るのが仕事(1枚目の写真)。主人がコラボラトゥールなので、レジスタンス寄りの新聞は扱っていない。無視する人もいるが、1人の親切な顔なじみは、新聞を受け取ると、代金を払ってくれ、「死んだほうがマシ」と言って新聞だけ返す。ジョーは、兄が働いている食堂にも届ける〔配達に近い〕。すると、近くにいた兄が手招きする(2枚目の写真)。兄に連れられて入った厨房の奥には小さな部屋があり、1人が無線に掛かりきりになっている。「あれ何なの?」。「レジスタンスの暗号無線だ」。「叱られちゃうから、行くよ」。兄は、「ところで、コラボラトゥールの娘の方はどうなってる?」と冷やかし気味に訊く。「なんで知りたいの?」。「あの娘(こ)が好きなんだろ? 5ヶ月も ただ見てただけか? 話したのか?」(3枚目の写真)。「進んでるよ」。ここで、ジョーは逆襲に転じる。「兄ちゃんこそ、レジスタンス入りは、『進んでる』の?」。「その話はするな」。「暗号指令はもらった?」。兄も逆襲に出る。「もらったぞ。『フランソワーズ〔本屋の娘、ジョーの片思いの相手〕の脚は毛むくじゃら』、だ」。お互い 達者なのは口だけ。
  

その時、ミリスの小隊が食堂の前に集まっているのに主人が気付き、「モーリス、すべて隠せ」と命じる。従業員が、カウンターに置かれた新聞にメモを挟み、「これを工場のジャンさんに渡せ」とジョーに頼む。しかし、ミリスたちは既に突入を始めていた(1枚目の写真)。外に出ようとしたジョーは、鞄の中の新聞を確かめられ、「ポケットを空にしろ」と命じられる。このミリスは、ジョーが勤めている本屋の息子なのに、ジョーに非常に厳しい。しかし、ポケットから出てきたのは、いつも手離さない青いビー玉だけだった(2枚目の写真、矢印)。如何にも子供っぽいので、鼻であしらわれ、外に出してもらえる。主人は、ミリスが何も発見できないので、「君らは、人の家にこんな風に入るのか?」と皮肉る。一方、ジョーは頼まれたメモを工場に届け、無事ジャンに渡す(3枚目の写真)。それは、ジャンが待ち望んでいた内容だったので感謝される。
  

そして、その日の夕食。ジョーが一張羅を着て顔を出す。ただ、上手くネクタイが結べない。ジョーを見た本屋の息子は、「ここで、何やってる? 出てけ」というが、娘のフランソワーズは、「パパが招待したのよ」と庇うように言い、ネクタイをきちんと締めてやる。ジョーは嬉しそうに 娘の顔を見上げる(1枚目の写真。身長差がかなりあることがよく分かる→年齢差も→なぜ好きになったのだろう?)。全員が食卓に着き、主人が立ち上がって、「フランスのすべての母親と、将来を担う子供を宿すであろうすべての女性に乾杯」と述べる。その後の会話の中で、息子が「もし、わが国が1936年にフランコやムッソリーニと共にヒットラーと同盟を結んでいたら、イギリスは戦争に手を出さなかった。そして、ヨーロッパは我々のものになっていた」と発言するので、徹底したナチ主義者だと分かる。娘:「でも、しなかった」。父:「政府が腐っていたからだ。ユダヤの虫けらのせいでな」。息子:「ヒットラーはよくやった」。父:「あれしか道はない」。息子:「あのネズミども、絶滅させてやる。穴に隠れていても、いつかは出てくるからな」。ジョーにとっては聞くに堪えない言葉だが、彼の目は、前に座っているフランソワーズに注がれている(3枚目の写真)。
  

その直後のシーン。ジョーとフランソワーズは石アーチの欄干の上を歩いている。欄干の幅は、40センチほどなので結構危険な行為だ〔因みに、リュミリーの町のシーンは、田舎らしい部分はラ・ブリギュ(La Brigue)の村で、広場などの町らしい部分はチェコのジャテツ(Žatec)で撮影されたと書いてあったが、この橋は前者にある〕。フランソワーズは、「私の兄さんって嫌な奴よね。何にでも反対。反共和制、反共、反資本主義…」と言い(1枚目の写真)、ジョーが、「反ユダヤ」と付け加える。「そうね。それが一番かな」。「お父さんに似てる」。「そうね。2人ともそっくり」(2枚目の写真)。「僕もさ。父さんに似てる」。「お父さんって? 一度も話したことないじゃない」。「父さんだよ…」。「あなたたち兄弟って、謎めいてるのよね。私たち、2人が何か隠してるって思ってるの」。「『私たち』って?」。「私と、女のお友だち」。「フランソワーズ。話しておきたいことがあるんだ。言っちゃいけないことだけど、君のこと信じてるから」(3枚目の写真)。「いいの?」。「うん」。「じゃあ、聞くわ。話して」。ジョーは、「僕…」と何度も言いかける〔ユダヤ人だと言おうとしたのか?〕
  

しかし、その先の言葉が出ることはなかった。2人のいる小道の先から、ミリスたちがパルチザンを連行して近づいてきたのだ。2人は、急いで草むらに隠れる。ミリスは6名、パルチザンは3名。ミリスの中にフランソワーズの兄もいる。パルチザンは崖下の通路のような場所に連れていかれると、壁の前に両手を頭に当てて立たされ、射殺される(1・2枚目の写真)。フランス人がフランス人を殺す。その残酷な光景を見たフランソワーズは、ジョーにもたれて泣く(3枚目の写真)。あらすじでは、ここで初めてフランソワーズの顔がはっきりと分かる。ジョーとの年齢差はかなりあり、お姉さんといった感じだ。この点が、1975年に製作された同名作の設定と大きく違う。参考までに付けた4枚目の写真は、ジョー(右)と兄(左)がフランソワーズと一緒にいるシーン。ジョーとフランソワーズは同年代だ(ジョーと兄の年齢差も少ない)。そのため、ジョーとフランソワーズが仲良く一緒にいるシーンはかなり長い。
  
   

夕方。兄弟が屋根の上で話している。ジョー:「レジスタンスにされなくて良かったね。なってたら、今ごろ死んでたよ」。その時、村の中央を流れる谷川の上を2機の飛行機が飛んでいく(1枚目の写真、矢印)。ジョー:「イギリスのだ」。「違う、アメリカだ」〔飛んでいった飛行機はP-38 ライトニング。アメリカ製でイギリス空軍も使っていたので、どちらかは映像では判断できない〕。兄:「どういうことか分かるか?」。「もうすぐ来るんだ」。2人は抱き合う。反応はすぐに現れた。反ミリス主義の住民の1人が、本屋のショーウィンドーを石で割ったのだ(2枚目の写真)。そして、「ミリスに死を!」と叫ぶ。「何人も殺したツケは払ってもらうぞ! コラボラトゥールに死を!」。主人は すぐ2階から下りて来る。割れたショーウィンドーの中には、「VENDU(裏切者)」と朱筆された紙が置いてある。主人は、外に出ると、「ばか野郎! フランスをイギリスに売る気か?! ど阿呆めが!」と怒鳴る。何事かと、ジョーが駆けつける。フランソワーズと母も見に来る。母は、娘のことを心配して、夫に、「フランソワーズを私の妹の家に連れて行って」と頼むが、夫は、「お前の娘に母親に妹… そんなもの知るか!」と2階に上がっていってしまう。ジョーはフランソワーズのことが心配だ(3枚目の写真)。
  

短いシーン。1人だけになったフランソワーズにジョーが近づいて行き、「どんな気持ちか よく分かるよ」と慰める(1枚目の写真)。「僕の家族も、一度に全員がバラバラになったんだ。父さんは、『歩くときは後ろを振り返るな。でないと、転んでケガをするぞ』と言ってた」と話す(2枚目の写真)。それを聞いたフランソワーズは、ジョーの頬に軽くキスし(3枚目の写真)、「あなたは 私のお父さんだわ」と言ってジョーをじっと見つめる〔心配すらしてくれない父に愛想をつかした〕
  

翌朝、ジョーも手伝ってショーウィンドーを直していると、「Le Petit Dauphinois」の小型トラックがクラクションを鳴らして乗りつけ、ジョーに新聞の束を渡す。一面を見たジョーは、「まさか〔C'est pas vrai〕!」と叫ぶや否や、そのまま自転車に乗せて走り去る。主人は驚いて、「ジョセフ!」と叫ぶが、離れすぎていて聞こえない。その主人の手に、追加の新聞の束が渡される。それを見た主人は、「惨めだ〔Misère〕」と絶句。一方、ジョーは、「パリが解放された!」と叫びながら、新聞をタダで配っていく(1枚目の写真)。誰もが、新聞を奪い合う。事態は急速に進む。町の中央広場のオベリスクにはフランス国旗が掲げられ(2枚目の写真)、建物にも国旗が飾られ、住民が広場に感極まって集ってくる。一方で、ミリスには激しい報復が待っていた。本屋の息子も、殴り倒され(3枚目の写真、矢印)、その後、恐らく死亡したであろう〔多くのミリスが、逮捕される前にリンチで殺された〕。人で溢れかえる広場で兄弟は出会い、抱き合い、喜びを分かち合う。「信じられるか?」。「終わったんだね」(4枚目の写真)。兄は、パリ行きのトラックに乗るようジョーを誘うが、彼は フランソワーズのことが心配なので、一緒に行くのを断る。「先に行ってよ。後で会おう。僕たち、もう自由なんだろ?」。「そうだ。自由だ」。「ママとパパに愛してるって言っといて」。「一人で大丈夫か?」。「兄ちゃんこそ、僕がいなくてうまくやれる?」。「ほら、彼女を捜してこい」。
   

さっきから本屋の前で人だかりがしているのを気にしていたジョーは、「フランソワーズ」と呼びながら店の前まで行く。店の中は、町の人々による破壊行動でめちゃめちゃ。これまでの主人の「反フランス、親ドイツ」の言動に対する人々の憎しみが一気に爆発した結果だ。ジョーは、フランソワーズが巻き込まれているのではと思い、中央のテーブルに上がると、「やめて!」と叫ぶ。誰もやめないので、「この人、ユダヤを匿ってたんだ!」と叫ぶ。この言葉で、主人を殴っていた男の手が止まる。「何を言ってる、ジョー?」〔「死んだほうがマシ」と言って、新聞代だけくれた人/ジョーを可愛がっていた村人〕。「ほんとだよ」。「このくそが、ユダヤ人を匿うはずがない」。「誓ってほんと」。「誰なんだ?」。「僕だよ」。それを聞いた血まみれの主人はびっくりする。「僕はユダヤ人だ」。ジョーは、今まで決して口にできなかった言葉を大声で何度もくり返す。「僕はユダヤ人だ〔Je suis juif〕!」(1枚目の写真)。「こいつ、知ってたのか?」。「もちろん知ってた」。この言葉のお陰で、主人は、その場でのリンチ死は免れた。それでも、名高いコラボラトゥールなので裁判に連れて行かれる。主人の目は、ジョーに釘付けになっている〔感謝か? ユダヤ人が、嘘をついてまで助けてくれたことへの驚きか? それとも、知っていたら、突き出してやっていたのにという後悔か?〕。主人の妻は、髪を剃り落とされるために連行されるが、それでも、ジョーに「ありがとう」と言う。ジョーは、「フランソワーズはどこ?」と尋ねる。
  

父と兄を嫌悪していたフランスワーズは、騒動が起きる前に店を出て、パリ行きのバスに乗ろうとしていた。ジョーは 彼女の父親を助けていたため、バスの出発に間に合わなくなってしまう。フランスワーズの行き先を教えてもらい、バス乗り場まで駆けつけた時は、バスは出たところだった。ジョーは、「フランスワーズ!」と叫びながら後を追う(1・2枚目の写真)。しかし、フランスワーズはそれに気付かず、バスは走り去ってしまう。もう二度と会えない。初恋を失ったジョーは涙にくれる(3枚目の写真)。
  

場面は変わり、先頭に三色旗を掲げた汽車が 多くの人を乗せてパリに向かって突き進む(1枚目の写真)。車内でも三色旗が振られ、お祭りムード。その中にジョーの姿もあった。兄はトラックでパリに向かったが、ジョーが もし同じ日に汽車に乗っていたら、パリ到着は兄より早かったであろう〔実際には、恐らく翌日の乗車〕。フランスアルプス方面からの汽車が着くのは、兄弟がパリから脱出する時に使ったオステルリッツ駅の対岸にあるリヨン駅。そこから家までの直線距離は5キロ余り。汽車が着いたのは、早朝なので誰もいない街を1人で歩く。ここが、映画の冒頭にあったシーン。ジョーが青いビー玉を取り出して見る場面(2枚目の写真、矢印)は、あらすじの最初の映像と同じ。彼が、なぜビー玉を見ていたかというと、父の床屋の前まで来たけれど、朝早過ぎて店が閉まっていたから。これまで自分を守ってくれたビー玉に 感謝していたのかもしれない。そして、遂に店のシャッターが上がる(3枚目の写真)。
  

ジョーは、「パパ」と言いながら、店に近づいていく。しかし、シャッターを開けたのは長兄の1人だった。2人はかたく抱き合う。後からやってきたもう1人の長兄もその輪に入る。長兄が2階を見上げて「ママ!」と呼ぶ(1枚目の写真)。窓から顔を出した母に、「ジョーが戻った!」と叫ぶ。「ママ、僕だよ!」。母はすぐに駆けつける〔3人とも、わざわざ舗道から来るので、1階の店舗と2階の居室は直結していない〕。2人は抱き合う。そして、顔を見合う(2枚目の写真)。最後に来たのが兄〔結局、兄の方が先に着いていた〕。昨日か一昨日別れたばかりだが、パリでの再会に2人はしっかりと抱き合う(3枚目の写真)。
  

言葉は聞こえないが、ジョーは、「パパは?」と訊いたに違いない。兄は、困った顔になって母の顔を見る。母はそれを見て頷く。兄弟は見合う(1枚目の写真)。そして、兄は、ジョーを店の脇の舗道に連れて行く。その途中で交される会話は一切聞こえない。ジョーは、舗道脇のコンクリート壁にもたれかかって泣き出す。兄が慰めようとジョーを抱く(2枚目の写真)。ジョーは泣きながら、「パパ…」とだけ漏らし、そのまま泣き続ける。いつしか、手に持っていた青いビー玉が舗道に落ち、転がっていく(3枚目の写真、矢印)。「パパ、覚えてる? いつか言ったよね。いい人間が死ぬと、新しい星が空に輝き、それで希望が持てるんだって。本当だね。パパはここにいる。これからも ずっと一緒なんだ〔その間、ずっと青いビー玉がクローズアップされる〕。最後に、解説が入る。「1944年4月、アンナ〔母〕、アルバートとアンリは、逃亡の際に逮捕され、ドランシー〔パリ郊外〕の収容所に抑留された。幸い、汽車が不足したため強制連行を免れた。1944年8月、アメリカ軍到着の目前に、赤十字により解放された」。「ロマン〔父〕は、1943年11月に第62護送列車によりアウシュヴィッツに送られ、二度と戻らなかった」。「1945年、ジョセフとモーリスは、兄たちと父の床屋を受け継ぎ、伝統の家業を永続させた」。「2人は、子供たちや孫たちに囲まれ、今もパリに住んでいる」。そして、映画撮影時(2015.8~12)のジョセフとモーリスの小さな動画映像が解説文と一緒に紹介される(4枚目の写真)。
  
   

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